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アースダイバーになろう!

アースダイバー 中沢新一   講談社  ¥1800

中沢新一といえば、80年代ニューアカデミズムの旗手として浅田彰とともに話題になった。いわば、日本のポストモダン思想をつくったといえる存在です。

しかし、オウム真理教を擁護する発言をして、問題になった。「
浅原彰晃はおぼっちゃまくんである」という発言は有名。


南方熊楠について書いた『森のバロック』や、宮沢賢治について書いた『哲学の東北』などが有名で、最近の言説ではオウムを擁護したことに関する反省のようなものが感じられる。


この本は、縄文時代の東京の地図を元に湿った土地(元川や海の下だった所)と乾いた土地の違いと、現在の土地の特徴との関係を解き明かしていく。はっきり言って裏付けは全くといっていいほどないが、純粋に読み物として面白い。新宿や渋谷や秋葉原など東京のたくさんの場所の秘密が書いてあって面白い。歌舞伎町は元川の下で湿った土地だから猥雑さに満ちていて、歓楽街になってるらしいよ。第一章のさわりの東京は巨大なメリーゴーランドだ。なぜならどこを行くにも皇居の周りを回らなければいけない。というようなフランス人の言葉は印象的だ。



スキゾ化する社会。動物化する人々。

 最近ものすごく“ポストモダン”や、“パラノからスキゾへ”といった言葉をリアルだと感じる。古い感じもするが、東浩紀の「動物化するポストモダン」という本なども出ているぐらいだから注目されているキーワードではある。
 特に浅田彰の逃走論 を読んで、強くリアルと思うようになった。この本が出版されたのは1984年だが、ついここ2、3年のことを言っているのではないかと思えるほどだ。
 この本の言っている事をごく簡単に書くと、この社会全体(人々全体)がパラノ型(偏執型つまりパラノイアの略で、過去の全てを積分=統合化して背負っている。つまり集積的である)から、スキゾ型(分裂型つまりスキゾフレニーの略で、そのつど時点ゼロで微分=差異化していること。つまり集積的でない。)になっていると言うことなのです。
 このスキゾ化というものはいろんなところで進んでいると、僕は感じます。
 この傾向が特に顕著に出ているのが、オタクで、ここ数(十)年でオタクのアイデンティティというものは、研究者型の集積的なもの(つまりパラノ)から完全消費型のスキゾ的なものへがらりと変わったといえるのではないでしょうか。⇒そうでなくても、主にオタクが用いている、萌えという言葉自体がスキゾ的じゃないですか!!
 オタクだけじゃなく、大学のサークルの運営に関わっている僕としては、身にしみてスキゾ化というのを感じていて、運営の困難さに日々悩んでいます
 
≪さらに追加≫
 パラノ型は要するに金のもうじゃタイプの人で、スキゾ型は臨機応変に今を賭けるギャンブラータイプらしいです。
 オタクという人々は、社会や世間といったものから逃れ続ける人だといえると思います。浅田彰のいう逃走する人そのものではないでしょうか?そこだけを考えると、周りの人にとってプラスになることはないですね。
 でも、オタク=スキゾ型ではなくもともとはパラノ型だったといえるので、オタクはスキゾ化の最先端をいってしまったということなのではないでしょうか。
 現在の日本に巣食う病理に敏感に反応してしまうのが、オタクという人種であるといえるので、オタクを研究する事が日本の問題点を探る事になると思います。オタクは本当に興味深い存在です。最近たまにオタクに注目しすぎてお前オタクになってるよって言われる事がありますが、ぜんぜんオタクには及びません。
 浅田彰が『逃走論』で主張している事はここで僕が言っていることとは異なっていますが、見方を変えて考える事によって現在の日本の問題に当てはまる評論になると思ってこの文章を書きました。
 ≪注意≫ちなみにスキゾフィレニーは、統合失調症の事ですが、この文章の中の言葉は実際の病気とは関係ありません。

失踪日記を読んだ

 結構話題になっている吾妻ひでお の漫画、失踪日記を今まで買わなかったのは1197円という値段もあるが、僕が吾妻ひでおという漫画家をあまり知らなかったからです。『ななこSOS』というアニメはかろうじて知っていますが、ほとんど知らないに等しいです。
 しかし読んでみて、この漫画はすごいなと思いました。実体験のすごさというものが、このリアリティーのないのを売りにしているように見える漫画からにじみ出ています。それにこの漫画は、ホームレスやアルコール中毒の体験という、漫画ではふつう表現しない体験がつづられていて、文章よりもリアリティーを感じました。
 それに、そんな状況にあるときの心理状態を漫画で表現できている所がすごいです。

失踪日記   

rockが抱えるトラウマ構造

 僕は中学三年のころから洋楽を聴くようになった。
 初めて買った洋楽は確かマドンナのレイオブライフというアルバムだったように記憶している。
 それまで、スピッツのCDしか買ったことのなく、音楽の熱心なリスナーでなかった僕は、思いっきり洋楽にはまってしまった。そしていろいろ聞いているうちに、特にロックを聞くようになった。
 そのきっかけは、NHKFMのワールドロックナウという渋谷陽一のやっている番組を聞き始めたのと、ロッキンオン という同じく渋谷陽一が発行しているロック雑誌を毎月講読するようになったからだった。
 なぜこのようなメディアを通して情報を得るようになったかというと、ロックというのはその音楽だけではなく背景などがとても重要だからです。
 特に音楽を作った人のトラウマ経験などは特に重要です。トラウマを必要とし、求めている人がロックを聞いている場合が多く、僕もたぶんそうであったのではないかと思います。
 そういう人はアーティストのトラウマを自分の体験として昇華しようとしているのではないでしょうか。
 ナインインチネイルズ や、マリリンマンソン 、コーンなどは特に自分のトラウマを雄弁に語っていてファンもそんな部分も含めて好きなのです。(詳しくは、ロッキンオンなどで読むか、「心理学化する社会 斉藤環 著 などを参考にしてください)
 
 しかし最近はほとんど音楽を聴かない生活が続いていたのですが、今日ひさしぶりに試聴機でいろいろ試聴してみました。
 オアシスのニューアルバムですが、前回とは比べ物にならないくらい良くなっていますね。でもかつてのオアシスほどの曲はないと思いました。かつてオアシスが麻薬をやっていた時は歌詞はむちゃくちゃだったけど、ものすごくいいメロディーを書いていた。もちろん麻薬してもいいといっているのではないが、そういう選択肢もあるということだ。村上春樹の「国境の南、太陽の西」という本に確か、昔店に来ていたジャズミュージシャンは、麻薬や酒でめちゃくちゃな生活をしていたが、演奏がひっくり返るようなすごい体験ができたが、最近のジャズミュージシャンは健康的で正確な演奏ができる代わりにそういう体験はできなくなった。といったようなせりふがあった気がするが、オアシスの場合も同じ事が起こっているのではないかと思う。
 
 それに対して、コールドプレイのニューアルバムは、ものすごくいいものになっていて、完全にオアシスを越えた感じでした。
 
 そうそう、今リバティーンズは昔のオアシスと同じ状況に陥っているようです。


リバティーンズ革命

深い海の鯨

 海洋ドキュメンタリー映画のDEEP BLUE を買いにいったら、所沢駅近辺では売切れていて見つからないので、小手指駅近くの西友に行ったらあっさり発見! アパートに帰りパソコンで観た。ものすごい迫力の映像の連続!もっと大きな画面で見たいと思った。さすがにノートパソコンの画面では小さすぎる!

 そして、スペシャルエディションについている二枚目のドキュメンタリーもすばらしい!僕は本編よりも興味深かったです。



ディープ・ブルー スペシャル・エディション  


 そして、鯨について考えました。ディープブルーを見たのが関係しているのですが、ディープブルーの内容とは関係ありません。

 日本は捕鯨文化のある国です。しかし現在は調査捕鯨しか許されていない状況です。
 捕鯨に反対している国は多数ありますが、主な理由として絶滅するだとか、かわいいからといったものがありますが、
絶滅の問題で言えば、高品質な鯨油を採るためだけに大量捕鯨する国があったから、量が激減したのであってそういう国は、すぐに捕鯨禁止に賛成しました。


 しかし日本は、食生活の文化として昔から捕鯨をしていた。だから、量を決めて捕鯨するなら認めるべきであると思う。


 鯨は今増え続けています。大量のいわしなどを食べるので、魚の量が鯨増加のおかげで減少すると言う状況がおきている。つまり、鯨をある程度とることは必要なのです。しかも日本の文化としての捕鯨を全面的に禁止する事は、重大な文化侵略です。

 僕は鯨が好きなので、もうちょっと安く鯨の肉が店に並ぶようになればいいなと思います。


すみません二つの記事をくっつけたので展開に無理がありました…
 

鯨について資料 (日本捕鯨協会のホームページ)