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都会とポストモダン

ポストモダン

ポストモダンとは


 細分化 細分化

   細分化  細分化    細分化

 細分化        細分化     細分化

  細  分化    細分   化     細   分   化

 細文化   最文化    細文化       歳文化   差異文化

 つまり細分化とシュミレーションによる情報の劣化。
 そして個別主義の台頭。

 そして、起こるのは理解不能!理解不能!

 
 
都会

都会とは流れる所

人が流れ、

       車が流れる。

 その中で、流れがよどみ、

            犯罪が起こり

                    いろいろな穢れがたまる。

 そんなものも飲み込んでつねに流れ続ける巨大な川。

 田舎で流れる川と違って、

            美しくは無いが、

                    それでもかまわず流れ続ける。 
 

白い(完璧な)コミュニケーション

 ロラン・バルトは白いエクリチュールをカミュの『異邦人』の中に発見します(あのすべての事から開放されたかのような文体)、しかしカミュが、次の著書にも『異邦人』の文体を使用する事により、真っ白(秩序への服従から解放されている事)ではなくなってしまいます。

 そして次に日本文化の俳句などの、無垢さにそれを発見します。そこには一瞬の美というものがあふれていたんですね。

 しかしそういったものは本当にコミュニケーションの場では使えるのでしょうか?

 たぶん使うとすべてが暗示的で、聞き手がすべてを判断しないといけないでしょう。話しては誤読を恐れずにはなす。聞き手は誤読する事を考えながら。 だって文脈すらほとんど無いのですから…(たぶん)

 これからの社会ますます誤読が増えてくると予想されます。哲学者の東浩紀 さんは郵便的社会と言っています。郵便物が届くように情報が伝わり誤って届く事もあるという事です。

 いやー未来はどんな社会になるんでしょうか…全く想像つかない。たぶんたくさんの哲学(考え方)の必要とされる複雑な社会になるんではないでしょうか。少なくとも今は昔よりも分かりにくい社会構造になっています。

ダンサー・イン・ザ・ダーク

 今まで見た映画で、一番の映画をあげろと言われたら僕は、ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と答えるでしょう。

松竹
ダンサー・イン・ザ・ダーク
 まあ僕はそんなに映画をたくさん見ているとはいえないのですが、この映画は特別なものだった。僕は、これほど映画を見たあとで、家族とか愛とか、不条理について考えさせられた映画は無いからです。そしてこれほど見てて動揺した映画はありません。

 もちろんみんなが見て面白いといったわけではない。そもそもこの映画は面白いとかそんな観点で語られるものではないからです。…しかしまあもちろんミュージカルの所などは面白いとといっていいと思う。

 そもそもこの映画は、僕はビョークが出ているという理由で見ました。しかも映画を通してビョークの歌が流れるといわれたら、ビョーク好きの僕としては見ないわけにいかない。

 しかし、この映画を見た後で残るのは、圧倒的な不条理感と圧倒的な家族愛なのです。僕はこの映画を見た後しばらく呆然としてしまいました。

 この映画は、最近良く出てくる映像的麻薬のような映画(ただ観客楽しませるためだけにつくられた映画)とは全く違います。(そういうものがだめだといっているわけではありません)

 そしてこの映画は泣けます。そしてそれは悲しみの涙です。僕はこの結末を受け入れられる人はかなり強い人だと思う。

 精神科医の斉藤環氏は、自身の著書『フレーム憑き』の中でこう語っている。
 “悪い事は言わない『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だけは見ておきなさい。いっておくが、それが君にとって良い体験になるかどうかは保証しない。この作品が君にとってどんな意味を持つ事になるのかも、僕にはぜんぜんわからない。つまり、君がこの映画を見るべき理由を僕は合理的に説明できない。でも、だからこそ君は、この映画を観なければならない。これは命令だ。命令に意味なんか無い”(『フレーム憑き』p143より抜粋)


血液型

 フェルナン・ド・ソシュールは、記号学者で、あるものに名前をつける事によって、その言葉に縛られるという事を言った人です。

 最近サークルで、冊子を作ったときに、後輩が書いた記事の中に、血液型と性格は関係ないと授業で教授が言っていたと書いていて、でも僕たちのサークルの人たちには血液型別の性格が妙に当てはまっているように感じられる。本当に血液型と性格は関係ないのでしょうか?

 もしかして人間は、血液型で分けられる事によって、その血液型に縛られているのではないでしょうか?もちろんそれでは説明のつかないことは多いのですが…
難波江 和英, 内田 樹
現代思想のパフォーマンス

 思想関係で、面白い本があったので紹介します。ソシュール、ロラン・バルト、ミッシェル・フーコー、レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、エドワード・サイードについて紹介されていますが、この本のすごい所は、実践編があって、そこで、実際例(小説や映画)で紹介されている事です。現代思想に興味ある人には面白いと思います。


セカイ系…新海誠

 セカイ系とは、アニメなどのサブカルチャーなどに使う言葉で、自分たち(自分と彼女など)と世界の間には、本来社会があるべきなのに、それを抜かして自分たちだけが世界にいるかのように錯覚するように描かれているものを言います。僕はこういう言葉には疎かったのですが、友人に教わって調べました。

 この分野に属する作品の特徴は、その作品の世界に浸りやすい事があげらられます。一度その作品世界に入ってしまうと、どんどん引き込まれていきます。

 セカイ系の主な作品として、『イリアの空UFOの夏』キャラクター小説、『ガンスリングアガール』漫画…がありますが、特に僕は、新海誠監督のアニメ作品『ほしのこえ』と、『雲の向こう、約束の場所』が好きです。
ビデオメーカー
雲のむこう、約束の場所
 どちらの作品も美しい風景と、言葉が印象的なのが、そしてその世界観が僕の気に入った理由なのですが、『ほしのこえ』を見た段階で、何か感じるものがあって、その事を『雲の向こう、約束の場所』の予告編を見て確信しました。

 その予告編には、登場人物が、宮沢賢治の詩『永訣の朝』朗読している事。そして、村上春樹の『アフターダーク』の本が出てくるのです。なんと二つとも僕の大好きな作家ではないですか。

 なんか世界観や言葉が僕の好きなところにがんがんはまってくると思ったら監督が好きなものが僕とかぶってるんですね。しかもこの監督できる所はすべて自分で作る人なので、おのずと世界観が定まってくるんですね。

 そして音楽(天門という人がつくってる)も美しい描写に合わせてすばらしいのでどんどん引き込まれていくんです。ぜひ見てほしい作品です。